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整体院スタッフのよもやま話

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[院長きいち]記事

車中泊一人旅(No:3-4)

【四日目の予定】
 ・本日は宗谷岬から稚内(ノシャップ岬)を経由し
  南下して初山別まで。

【四日目の順路と簡略図】
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 ・さるふつ公園 → 宗谷岬 → 稚内 → ノシャップ岬 
  → 稚内公園 → 抜海駅 → サロベツ原野 →
  豊富温泉 → 天塩 → 遠別 → 初山別(宿泊地)

・朝5:40起床、気温14℃。
・昨日の風と激しい雨  が止み、雲の隙間から
 朝日が差し込んでいましたが、少し小雨気味。
・朝食を済ませ、8時少し前に宗谷岬を目指し出発。
 徐々に小雨から曇りに、そして晴れ間が出る様に。
・昼過ぎには21℃~24℃程になり、ドライブ日和に
 なりました。
・本日は「豊富温泉」と「初山別のホテル岬の湯」の
 2カ所の温泉に入ることが出来ました。
・本日の走行距離は約235kmで、今日も充実した一日
 でした。

 IMG_2256_convert_20220729112834.jpg 「宗谷岬」日本最北端です。北緯45度31分22秒。
 IMG_2260_convert_20220729104510.jpg 「日本最北端」の碑。この先には天気が良ければ「樺太」(現エトロフ)が観えるとの事です。
 IMG_2258_convert_20220729141526.jpg 「間宮林蔵」像。江戸幕府からの命を受け北方探索に赴いた。間宮林蔵は1809年に「間宮海峡」を発見して樺太が「島」であることを確認した。この発見は当時の世界地図の空白を埋める偉業であり、世界にその名を残しました。その後、師である「伊能忠敬」の事業を引き継ぎ、蝦夷地の地図作成にも多大な貢献を果たしています。
 IMG_2261_convert_20220729141558.jpg 北海道と樺太を挟んで宗谷海峡があり、樺太とロシアを挟んで「間宮海峡」があります。
 IMG_2269_convert_20220729104615.jpg 「旧海軍望楼」明治8年(1875年)日本とロシアの間で「樺太千島交換条約」締結され、それまで両国民混住の地とされていた樺太(現サハリン島)がロシア領となった事から、国境となった宗谷周辺は、にわかに緊張を増しました。この望楼は明治35年(1902年)に旧日本海軍が建設したもので、当時最強と言われたロシアのバルチック艦隊の動きを監視するという重要任務が課せられました。日ロ戦争の終結とともにその使命を終えたものの、その後は無線通信基地として、また太平洋戦争では対潜水艦監視基地として機能しました。
 IMG_2274_convert_20220729104632.jpg 「宗谷岬灯台」明治18年(1885年)9月25日に点灯され、以来今日まで宗谷海峡を航行する船舶の安全を守っています。日本最北端の灯台としても親しまれています。
 IMG_2275_convert_20220729104648.jpg 「すりみ汁」(蟹、エビとゴボウによるすり身汁)凄く濃厚な出汁で美味しかったです。
 IMG_2276_convert_20220729104709.jpg 「稚内港北防波堤ドーム」です。稚内港の防波堤としての役割及び桟橋から稚内駅までの乗り換え通路を兼用する為に昭和6年(1931年)から5年間かけて建設された。高さ約14m、長さ427m、古代ギリシャ建築を彷彿させる70本のエンタシス状の柱列群は斬新な印象です。丁度、この防波堤の先を工事していました。
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 IMG_2284_convert_20220729104750.jpg 「巡視船りしり(1500トン、全長96m、幅11.5m)」です。平成28年(2016年)下関造船所で建造され、稚内海上保安部の所属船となりました。ヘリコプター甲板付きの巡視船は道北地区では「りしり」だけです。 
 IMG_2292_convert_20220729104811.jpg 稚内港から「利尻島」や「礼文島」にフェリーが出ています。
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 稚内の先にある上の写真の赤印が「ノシャップ岬」です。
 IMG_2304_convert_20220729104858.jpg ノシャップ岬から撮影。どちらに向かうかは不明ですが、利尻か礼文に向かうフェリーです。
 IMG_2301_convert_20220729104916.jpg 「稚内灯台」です。明治33年(1900年)に点灯。昭和32年(1957年)映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなりました。昭和44年(1969年)現在の位置にに改修され階段が154段あり、全国で2番目の高い灯台で宗谷海峡を守っています。
 IMG_2310_convert_20220729104936.jpg 「九人(くにん)の乙女の碑」です。稚内の高台にある稚内公園にあり、「氷雪の門」の傍に設置されています。
この碑は終戦時、樺太の真岡(現ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊のために建てられたものです。北緯50度線でソ連と国境を接していた樺太では昭和20年(1945年)8月、ソ連軍の不意の攻撃を受け40年間にわたる国境の静寂が破られました。島民の緊急疎開が開始される中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向かいましたが、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」の言葉を残し、青酸カリを飲み、自らの命を絶ちました。戦後5日後、8月20日の事でした。※この話は子供の頃に聞いて知っていましたが、改めて記憶が蘇り、目頭が熱くなり合掌するのみでした。
 IMG_2312_convert_20220729104958.jpg 「氷雪の門」です。太平洋戦争当時、日本領であった樺太で暮らしていた皆さんの、故郷への想いと樺太で亡くなった人々の慰霊碑として昭和38年(1963年)に建立されました。この真ん中の女性像(ブロンズ像)には、それぞれの意味が込められています。顔は戦争で自分達が受けた苦しみを表し、手のひらを見せているのは樺太と家族を全て失ったことを表し、足はその悲しみから早く立ち上がろうと表現したモノで、その足の間の波模様は海峡を表し、3本のV字は、雪と氷と風を表しています。残念乍ら、この像の前に立った際、小生はその意味を知りませんでした。 ※小生の遠い親戚が当時、樺太から引き揚げて来て小生の母の実家に身を寄せたそうです。その親戚の当時の辛かった話を何度か母親から聞かされたことがあります。さらに母親の実家の目の前の沖合でアメリカ軍機が日本の船を攻撃し、沈没させられた等の話を聞いていましたので、子供心に戦争の悲惨さを身近な出来ごととして記憶しています。戦争のない世界が到来して欲しいものです。
 IMG_2321_convert_20220729105024.jpg JR北海道宗谷本線にある無人駅です。鉄道ファンに人気があるようですが2023年には廃止になりそうです。
 IMG_2322_convert_20220729105047.jpg IMG_2324_convert_20220729105105.jpg 現在の乗降客は一日、中高生が2人、住人数人との事ですので赤字路線の一つですので仕方が無いかなと感じました。
 IMG_2329_convert_20220729105130.jpg 抜海駅を後にし、日本海岸線を南下すると右手海岸線に「利尻富士」が雲の間から姿を現しだしました。
 IMG_2343_convert_20220729105155.jpg 広大な「サロベツ原野」です。
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 IMG_2357_convert_20220729105620.jpg 「サロベツ原野」を抜けて目指した先は皮膚病等に良いとされている「豊富温泉」です。全国から皮膚病等で悩んでいる方々が大勢湯治客として長期滞在する温泉としても有名です。泉質は「含よう素・ナトリウム・塩化物温泉」と「ナトリウム・塩化物・炭酸水素温泉」の2種類があり、いずれも黄濁し、井戸からは石油や天然ガスと共に湧出してくるため僅かに油分を含んでいます。その為、灯油の臭いがしています。「豊富温泉」にはホテルや旅館がありますが、小生は日帰り温泉の「ふれあいセンター」で身体を癒してきました。
 IMG_2364_convert_20220729105254.jpg 日本海の海岸線には多くの風力発電の風車が立ち並んでいました。当院のお客様でこの周辺のご出身の方のお話では「6月~8月後半までは風が少ないが、それ以外の月は風が強くなる場所で特に冬場はこの道路を走るのは命がけ」との事でした。 
 
【おまけ】
 IMG_2373_convert_20220729105314.jpg 「道の駅 しょさんべつ」にある「ホテル岬の湯」で入浴後、夕食を摂りました。この周辺は新鮮な「タコ」が獲れることでも有名で、初めて「タコの照り焼き丼」を頂きましたが凄く美味しいモノでした。
 20220718_190100_convert_20220801175403.jpg 「ホテル岬の湯」から眺める夕焼けに映える「利尻富士」です。観る位置により「利尻富士」も変化しますね。尚、露天風呂から眼下に多くの木々があり、そこでさえずる「ウグイス」の生の鳴き声が素晴らしかったです。
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プロフィール

院長きいち

Author:院長きいち
くしびきカイロプラクティック ていね整体院
札幌の手稲区にて開業しています。

スタッフ2名(院長・受付事務)の小さな院ですが、自分で言うのは何ですが、元気な笑顔の絶えないふたりです。

是非、ブログ同様のぞいてみてください。笑顔がふたつお迎えしますよ!





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