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整体院スタッフのよもやま話

.27

[院長きいち]記事

一人旅(中津編)

宇佐神宮より「中津市」に移動。

中津ではサラリーマン時代、一緒に
働いた同僚と14年振りの再会。
彼は実家の稼業を継いでいました。

彼の地元’中津城’はじめ’福沢諭吉旧宅’
等を案内してくれました。感謝・感謝

元の同僚と3時間ほど行動・食事を
した後、’豊前松江駅’で彼と別れ
ました。

その後、’中津(日向)街道’を走り、
右手には「周防灘」を見ながら、
九州ともお別れすることになりました。

その後、「関門海峡」を渡り、山口県
(山陽エリア)に入りました。

【宗教法人 羅漢寺】
IMG_5580 中津市 曹洞宗 羅漢寺_convert_20230927112053 曹洞宗 羅漢寺 の参道入口です。1400年の歴史ある参道で、階段が長く続いていました。
IMG_5582 羅漢寺へはリフトを利用可能_convert_20230927112124 本来、参道の階段を上って行くのが良いのですが、リフトがあり、そちらを利用しました。羅漢駅となります。
IMG_5589 羅漢寺でのリフト_convert_20230927112143 リフトから眼下を撮影。
IMG_5590 羅漢寺周辺から望む_convert_20230927133215 ’羅漢寺’の出入り口近くから撮影。山岳信仰である事がこの高さから理解できますね。
IMG_5591 羅漢寺参拝の方はリフトでは拒否看板_convert_20230927112306 今年10月で’リフトをご利用する参拝は出来ない’旨の立て札です。リフトを下りて’羅漢寺’に入る入口に「写真撮影禁止」の案内があり、撮影出来ませんでした。
-860x573_convert_20230927113000.jpg ’羅漢寺’は日本最古の石造五百羅漢像はじめ、数千体の石仏を境内の岩屋に安置し、仏教を絵図の様に表しています。’羅漢寺’の石仏群は平成26年8月に国の重要文化財に指定されています。

※洞穴の中に建屋や石造の数千体の石仏が整然と並んでいて、出入り口にはお寺の関係者(長くアルバイトで働いている方)がいました。
 その方から、’今年の10月からリフトをご利用される参拝者にはこのお寺には入れない方針’との事でした。
また’ここは観光客相手ではなく、現在、檀家が70軒程に少なくなりましたが、観光客が色々問題を起こし、足利尊氏のころから「山岳信仰」として継続されて来た本来の姿に戻すことになった」との事で、’御朱印’の記帳も行っていないとのお話しでした。
(境内は撮影禁止の為、中津耶馬渓観光協会、宗教法人羅漢寺のHPより転写)

【中津:耶馬渓】
IMG_5597 耶馬渓 1_convert_20230927113054 「一目八景(深耶馬渓)」です。
IMG_5607 耶馬渓 青の童門周辺_convert_20230927113111 「青の洞門(競秀峰)」です。

※「耶馬(やばけい)」とは、川が溶岩台地を浸食した奇岩の渓谷で、石柱の断崖、洞窟、滝、巨石が大パノラマをつくっています。
 北海道の「層雲峡」にも景色が似ている様に感じました。

【中津城】
IMG_5619 中津城 HP_convert_20230927113131 ’中津城’です。2014年NHK大河ドラマの主役・黒田官兵衛が築城し、細川忠興が完成させた中津城です。高瀬川(中津川)の河口を巧みに利用し、堀に海水を引いた’日本三大水城’の一つだそうです。この城は’中津市’の中心部にそびえています。
IMG_5650中津城内展示物双葉山_convert_20230927113152 ’’
’中津城’内に中津出身の名横綱・双葉山が作った連勝記録が昭和14(1934)年に「69」で止まりました。双葉山は何故負けたかについては一切言い訳はしていない様ですが、元同僚が「双葉山は子供の頃に右の眼に吹き矢があたり、入幕したころには全く見えない状況で、双葉山に土をつけた西の前頭3枚目の安芸ノ海が右側に回り、双葉山から見えなくなり、外掛けで負けた」と話してくれました。地元の英雄ですので、詳細に伝わっているのだと感じました。

【1万円札でおなじみの福沢諭吉旧宅】
IMG_5635_convert_20230927113209.jpg 「国指定史跡福沢諭吉旧居」です。中津藩の下級武士の子供として天保5(1835)年に大阪で誕生。一歳半の時に父が他界し、中津に帰ってきて、母の実家であった現在の旧居前に移ったとの事です。母屋は木造かやぶきの平屋で、北側に瓦葺2階の土蔵がありました。
IMG_5632 福沢諭吉が自ら直し勉強した土蔵_convert_20230927113225 この「土蔵」の2階の狭い部屋を自分で手直しし、長崎に遊学するまでの18年間、ここで福沢諭吉は勉強した土蔵です。50年前にここに来た際、直接、階段で2階に上がることが出来ましたが、今は入る事も出来ませんでした。理由は多くの観光客で建物を維持できなくなるとの事で中に入ることが出来なくなったとの事です。 仕方が無いですね。
因みに、Ⅰ万円札でおなじみの福沢諭吉氏のお顔は明治24年頃で56歳頃の様です。(福沢旧邸保存会のパンフレットより)

【JR豊前松江駅】
IMG_5664 豊前松江駅_convert_20230925154156 「豊前松江駅」です。50年前にもこの駅に来ています。昔の駅と同じではないかと思いますが良く覚えていません。 この駅前で元同僚とお別れして、そして一路、山口県を目指しました。

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[院長きいち]記事

一人旅(宇佐編)

豊後高田の「昭和の町」から左程遠くない
「宇佐神宮」に参拝。
’宇佐神宮’の敷地の広さにビックリです。

境内の広さは約14万坪で、ほとんどが
「史跡」として国より指定され、川・池など
自然に近く、構成されていました。

ご存知の通り、’宇佐神宮’は全国に4万6千
社あまりある’八幡宮’の総本宮です。

八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后
をご祭神にお祀りしています。
神亀2(725)年に創建され、皇室も伊勢
神宮につぐ、第二の宗廟(そうびょう)として、
一般の人々にも鎮守の神として広く親しまれています。

因みにお祭りには欠かせない「御神輿」は
’宇佐神宮’が発祥の地である事を知りました。
また、’流鏑馬’の際、馬が走り抜ける通路を
初めて歩いてみました。

【宇佐神宮】
IMG_5479宇佐神宮_convert_20230925151903 ’宇佐神宮’の鳥居です。柱の上に’黒い台輪’が特徴で宇佐神宮内の鳥居は全てこのデザインで統一されています。
IMG_5485_convert_20230925151931.jpg 鳥居をくぐり暫く行くと、左側に「蒸気機関車」が展示されています。明治24(1891)年のドイツ製で明治27年に九州鉄道(国鉄の前身)が購入し、活躍していました。宇佐参宮線として大正5(1916)年から昭和40年まで活躍していました。
I_5487_convert_20230925151955.jpg 神輿発祥を今に伝える貴重な宝物「御祓会絵図(祭礼絵巻)」が描かれています。
IMG_5497_convert_20230925152020.jpg ’宝物館’です。大鳥居を抜けてすぐ右手にあります。人工の大きな池があり、まるで水の上に浮いている様にみえます。
IMG_5501_convert_20230925152045.jpg あちらこちらに池と建物があります。
IMG_5506_convert_20230925152117.jpg 社務所でここで’御朱印’を頂きました。
IMG_5507_convert_20230925152137.jpg 社務所前に大きな’手水舎’があり、一度に30人程(柄杓の数が28本あり)の方が出来ますね。
IMG_5513_convert_20230926192926.jpg 上宮参道です。
IMG_5518_convert_20230925152232.jpg ’上宮西大門’ですが、 現在、改修工事中で、本来の形を垂れ幕に写してありました。江戸時代の元文5(1740)年に造営されて現在に至るそうです。
IMG_5533_convert_20230925152303.jpg 上宮(本殿)です。725年に造営されとの事です。右端の木が、推定樹齢約800年と言われる’大楠’でパワースポットとしても親しまれています。
077af7bda77d79acdbbacf17fd964a2b_s_convert_20230926183316.jpg 上宮(本殿)です。左から’一之御殿’、’二之御殿’、’三之御殿’と並んでいて、それぞれお参りをしました。宇佐神宮では「二礼・四拍手・一礼」という作法で参拝します。太古の昔から延々と受け継がれてきたもので、起源は不詳との事です。(このアングルで撮った写真が暗かったので宇佐神宮のHPより転写しました)
IMG_5538 宇佐神木 樹齢800年_convert_20230925152326 推定樹齢約800年の’大楠’でパワースポットとしても親しまれ、幹に手を触れてパワーを授かろうする人たちが増えているそうです。丁度、女性の方が木に触れてパワーを授かっていますね。
IMG_5555_下宮_convert_20230926204455 下宮です。上宮から遅れる事100年後の824年に造営されたとの事です。宇佐神宮には「下宮参らにゃ片参り」と言う言葉が昔からあり、上宮を参拝した後で下宮も参拝するのが良いとされているようです。下宮は上宮と同じ様な形ですが、外宮の方は規模が小さく感じました。
IMG_5565 宇佐神宮 池_convert_20230925152440 池と建物です。
5575流鏑馬の参道です 毎年8月1日の夏越祭に行われます_convert_20230925152508 ’流鏑馬’の参道です。
IMG_5576 弐の的です_convert_20230925152527 これは’弐の的’です。’壱の的’~’参の的’まで、走る馬から的を射るのですから凄いですね。結構、的の板は大きい物でした。

.22

[院長きいち]記事

一人旅(大分編)

別府での「地獄めぐり」 の次は「佐賀関
半島」の’道の駅さがのせき’に向かいました。

宮崎県’延岡’から先の’日豊海岸(豊後水道)’
線沿いは通りませんでしたので、せめて
「佐賀関半島」の先の方に行ってみたかったのです。

その後一旦、別府に戻り、「国東(くにさ
き)半島」を周回しました。

国東は神が点在する町で、1300年もの
歴史がある仏教文化を代表する場所です。

特に「三人寄れば文殊の知恵」で知られ’文殊
菩薩’をご本尊としている「文殊仙寺」に参拝。

その夜は’道の駅 くにみ’に宿泊。

翌朝は何年前かに’豊後高田’の「昭和の町」
がTVで紹介され、何時かは見学してみたいと
考え行ってみました。
確かに昭和30年後半~50年代前半の町並
みで、何故か懐かしさを覚えました。

【大分から佐賀関周辺】
IMG_5352_convert_20230922143338.jpg 大分マリンパーク沿いの’ソテツ(?)’が林立して南国の雰囲気がありますね。
IMG_5359 道の駅佐賀関より豊予海峡を望む_convert_20230922143424 ’道の駅さがのせき’から’豊予海峡’を望み
IMG_5356 道の駅佐賀関 関あじだんご汁_convert_20230922143404 ’道の駅さがのせき’での’関あじだんご汁’です。注文を受けてから作ってくれ、熱々の汁でした。凄く美味しかったです。
IMG_5387 別府湾を航行する貨物船_convert_20230922143624 別府湾を航行する貨物船かと思います。

【国東半島 文殊仙寺】
IMG_5362 国東半島文殊仙寺 鐘楼門_convert_20230922143455 文殊仙寺の’鐘楼門’です。
IMG_5363_convert_20230922143513.jpg ’梵鐘’です。応永4(1397)年にでき、重要文化財指定との事です。「自由について下さい」とのお札がありましたので、夕方ですが誰も居ない山の中での鐘の音が山林内に響いていました。合掌
IMG_5375 大分 本殿文殊堂_convert_20230922143530 ’文殊仙寺’本堂です。急な階段を上り、岩場に建っています。夕方5時を回っていましたので、丁度、お寺関係者が帰宅する準備中でしたが、快く’御朱印’を頂くことが出来ました。
IMG_5360_convert_20230922143552.jpg 数多くの’石仏’です。
IMG_5383_convert_20230922143609.jpg ’石仏’です。

【豊後高田町の’昭和の町’】
IMG_5389 豊後高田町 昭和の町_convert_20230923142820 昔懐かしい子供の遊ぶ姿が生き生きした像ですね。ほっこりし、自分の子供の頃を想いだしました。
IMG_5418_convert_20230922143709.jpg ’新町通り商店街’です。いくつかの商店街がありました。
IMG_5468_convert_20230922143735.jpg ’中央通り商店街’です。
IMG_5394_convert_20230922143753.jpg 大きく立派な’お茶屋’さんです。
IMG_5401_convert_20230922143809.jpg 「旧共同野村銀行」です。大分県きっての大金持ちの’野村財閥’が昭和8年に金庫代わりに建てたといわれる建物です。
IMG_5411_convert_20230922143844.jpg ’薬局屋さん’です。
IMG_5412_convert_20230922143906.jpg 店舗の所には懐かしい「看板(オロナイ軟膏)」がありました。2020年NHK連続テレビ小説「おちょやん」で昭和の名わき役女優また、大阪のお母さんと慕われた・浪速千恵子さんの看板です。本当に懐かしいですね。
IMG_5415_convert_20230922143926.jpg 店舗前の中央に’ポスト’がで~んと構えています。今なら色々問題になりますが、昔は国(郵政省)の力が強かったんでしょうかね。
IMG_5422_convert_20230922143949.jpg 当時の’ガソリンスタンド’です。
IMG_5456_convert_20230922144013.jpg 居酒屋さんの様です。
IMG_5462_convert_20230922144036.jpg ’電気商会’です。丁度、お店を開けたところで、商店街のパンフレットを頂戴しました。 
IMG_5461_convert_20230922144054.jpg 昭和の「三種の神器」と言われた’電気洗濯機’、’電気冷蔵庫’、’テレビジョン’が店頭に並んでいました。昭和30年代のそれぞれの値段は月収の2~4倍でした。今、思うと本当に高価なモノだったんですね。 


.13

[院長きいち]記事

一人旅(別府編)

「由布院」から  「別府」に。

別府と言えば「地獄温泉巡り」ですね。

約3万年前に活発な火山活動で噴き出した
マグマによって、別府湾一帯の広大な地域
に沢山の温泉が生まれました。

50年前は四国からフェリーで別府に入り
ましたが、その時の光景は’別府の街が
湯けむりで覆われていた’強い印象があり
今でも忘れることが出来ません。

ところで何故、「地獄」と呼ばれるかは、
地下から吹き上げる’熱湯’や’熱泥’、
’噴気’が仏教の経典に描かれる’地獄
絵’の様だったからとの事です。

勿論、7つの’地獄めぐり’と最後に’鬼石の
温’に入浴し、’別府地獄温泉’を満喫しました。

【別府地獄温泉:海地獄】
IMG_5210_convert_20230913144719.jpg 「海地獄入口」です。ここから「地獄めぐり」スタートです。
IMG_5213_convert_20230913144752.jpg 入口を入ると「ハス池」が目に入ります。
IMG_5223_convert_20230913144821.jpg ’コバルトブルーの池’で、じっと見ていると海の様ですが、温度98℃あるそうです。今から1200年前に’鶴見岳’が爆発して出来たそうです。
IMG_5243_convert_20230913144911.jpg 各地獄の場所に「足湯」があり、観光客が足をいれ’まったり’しています。
IMG_5250_convert_20230913144933.jpg 「鬼石坊主地獄」で、灰色の熱い泥が大小丸く、沸騰する形が’坊主頭’に似ていて、また’鬼石’という土地の名前から「鬼石坊主地獄」と呼ばれています。
IMG_5237_convert_20230913144845.jpg まるで「血の池地獄」の様に見えました。
IMG_5267 かまど1丁目_convert_20230913144954 「かまど1丁目」。ここの池は地下にある岩盤が地熱により出来たねばっこい色んな種類の粘土が溶け出した色です。因みに温度は90℃です。
IMG_5270_convert_20230913145020.jpg 「かまど2丁目」。温度は100℃です。
IMG_5280_convert_20230913145041.jpg 「かまど4丁目」。この池は地下にある岩盤が地熱により出来たねばっこい色んな種類の粘土が溶け出した色です。因みに温度は80℃です。
IMG_5290 かまど地獄_convert_20230913145103 「かまど6丁目」。温度は95℃で蒸気と温泉が同時に出ている為、熱泥となっています。
IMG_5295_convert_20230913145132.jpg 「鬼山地獄」入口です。
IMG_5298_convert_20230913145154.jpg 「鬼山地獄」です。
5304 鬼山ワニ地獄_convert_20230913145213 「鬼山地獄」で’ワニも湯ったり’です。大正12年に日本で初めて温泉の熱を使って「ワニ」の飼育をして、現在は約70頭のワニがいるそうです。
IMG_5306_convert_20230913145306.jpg 「白池地獄」入口です。
IMG_5310 白池地獄_convert_20230913145245 「白色地獄」です。吹き出した時は透明の熱湯ですが、池に落ち、温度と圧力が下がる事で自然に’青白い色’になるそうです。
IMG_5315_convert_20230913145324.jpg 「血の池地獄」入口です。「海地獄」から約3km程、離れた場所にあります。
IMG_5331 血の池地獄_convert_20230913145339 「血の池地獄」です。煮えたぎる粘土は噴気まで赤色です。ここは日本で一番古い天然の「地獄」です。ここから出る赤い粘土で、皮膚の病気に効く’血の池軟膏’という薬がつくられ、販売もされています。
IMG_5335_convert_20230913145400.jpg 「龍巻地獄」入口です。
IMG_5338_convert_20230913145419.jpg 「龍巻地獄」です。ここは’間歇泉’で、行った際、間歇泉が終わる少し手前で、ギリギリ写真を撮ることが出来ました。
IMG_5348 別府 鬼石の湯_convert_20230913145438 ’地獄めぐり’をした最後に「鬼石の湯」に入浴しました。ここは1階に内風呂と露天風呂、更に2階にも湯船があり、誰も入っておらず、完全貸し切り状態でゆっくり出来ました。


.12

[院長きいち]記事

一人旅(阿蘇~湯布院編)

高千穂から次に向かったのは過日、天候
不順で見学できなかった、世界最大級の
カルデラと雄大な自然。
そうです「阿蘇」です。

昨年7月に道北を旅した際、大分出身で
バイクで一人旅をしていた70代の方から
「九州に行ったら’阿蘇パノラマライン’と
’やまなみハイウェイ’は観る価値があり
ます」と勧められていました。

カルデラの雄大な景色を堪能しながら
2つの勧められたロードを無事完走。

諦めず、再度「阿蘇」に挑戦したこと
に良かったと思っています。

阿蘇から、その後「湯布院」に到着。

湯布院の温泉 でのんびり。
湯布院では「金鱗湖」周辺を散策しました。



【阿蘇】
IMG_5187 阿蘇 大観峰から根子岳を望む_convert_20230913095651 「阿蘇五岳」を一望する大観峰(外輪山の北部)ビュースポットからです。天候は晴れていましたが、この日は残念ながら中国からの’黄砂’が飛来し、阿蘇五岳の一つ「根子岳」も霞んでいました。
IMG_5151 阿蘇外輪山_convert_20230913094235 ’黄砂’が飛来していなかったら、絶景スポットですね。残念。 なお、この場所は晩秋の早朝、気象条件が揃えば、眼下に’雲海’を望むことが出来るそうです。
IMG_5170_convert_20230913094322.jpg 世界最大級のカルデラと雄大な風景広がっています。
IMG_5171 阿蘇パノラマライン_convert_20230913104308 草千里での光景です。
IMG_5168 阿蘇パノラマライン_convert_20230913094300 この駐車場からの眺めが良いですね。 
IMG_5173 阿蘇パノラマライン 米塚 標高954m_convert_20230913094349 カルデラ内の高さ80mの「米塚」です。円錐状で頂上の部分が大きく窪んでいるのが噴火の名残が特徴の山です。何故、「米塚」かと言いますと、かつて飢餓に苦しむ村人に、神様がお米をすくって、ここに積み上げ飢餓をすくったとの言い伝えからだそうです。
IMG_5179 放牧されている牛_convert_20230913094409 阿蘇を代表する「あか牛」が放牧されていました。
IMG_5182_convert_20230913094430.jpg 「あか牛」は適度な脂身であっさりとした味で阿蘇を代表する’ブランド牛’との事で、特に女性に人気だそうです。
IMG_5190_convert_20230913094615.jpg ’阿蘇くじゅう国立公園長者原’の「やまなみハイウェイ」で、ドライブコースとして人気だそうです。

【湯布院】
IMG_5208 阿蘇パノラマライン 草千里ケ浜_convert_20230913094820 標高1583mの「由布岳」です。くじゅう山群の鐘状火山で、由布院盆地から仰ぐと二つの峰が良くわかります。
IMG_5196_convert_20230913094645.jpg 「金鱗湖」です。由布院を訪れたら外せない観光スポットです。遊歩道が整備され、湖畔の散策が出来ます。
IMG_5198 湯布院 金鱗湖_convert_20230913094705 金鱗湖の水は温泉と清水が湖に流れ込んでいて水温が21℃に保たれ、冬に湖水に手を入れると温かく感じるようです。また、秋から冬の冷え込んだ早朝に幻想的な霧が出るとの事でした。
IMG_5205 岳本地区共同温泉_convert_20230913094746 湖畔の所に「岳本地区共同温泉」がありました。営業時間は12:00~23:00までで地区以外の方の入浴は出来ません。
IMG_5194 湯布院 金鱗湖 下ん湯_convert_20230913094725 「岳本地区共同温泉」の直ぐ前には観光客が利用できる「下ん湯」があります。泉質は無色透明の単純泉で温度は高温の69℃あるそうです。
料金は200円で混浴で脱衣所も混浴なので女性は勇気が必要ですが、旅の思い出には如何でしょうか?
kiji2Img_convert_20230913134337.jpg 「下ん湯」の内部写真です。半露天風呂からは金鱗湖が望めます。営業時間は10:00~22:00で、朝8時頃に行きましたので入浴は出来ませんでしたが、チャレンジしたかったです。(大分観光情報のHPより転用)

プロフィール

院長きいち

Author:院長きいち
くしびきカイロプラクティック ていね整体院
札幌の手稲区にて開業しています。

スタッフ2名(院長・受付事務)の小さな院ですが、自分で言うのは何ですが、元気な笑顔の絶えないふたりです。

是非、ブログ同様のぞいてみてください。笑顔がふたつお迎えしますよ!





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